死刑囚の誘惑
カルト&世界滅亡がリアリティを失ない、空しい人生は確実かつ重大かつ実行可能な犯罪を犯すことで社会と一体化を志向する。それは彼の人生を開放する。全てのプレッシャーは彼の動機解明と贖罪に集約して明確、死刑は自殺で解消できない不安を確実に解消する。極刑の閾値が完璧な犯罪者という非合法的なのに法治で保障される人生を生み出した。一人の死刑囚の定義が2人以上の殺人という定義は逆効果だ。空しい人生にとって明確な目標になってしまったから。死刑は甘美な誘惑で抑止力ではなくなった。
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コメント
岡山県の奥地で30名が惨殺された津山事件から今年は70周年にあたります。八つ墓村のモデルになった事件ですが、下手人は遺書に夜這いを断られた、結核で不具扱いされて仕事が無い、と言っています。本人は決して窮迫していたわけでもないのも、今回の事件に通じるところがあります。
日常の生活で追い詰められるのは誰でもあることですが、大概の人が乗り越えるか少しあきらめるかで乗り切ります。そのスイッチが利かなかったと言う点でたぶん、いずれ何らかの社会的トラブルは見舞ったかとも思えます。
原因はそんなわけで、社会のせい一辺倒には疑問なんですが、結果は社会性が生じます。ルールは適用されねばなりません。勘違いしている人が多いのは、死刑回避が決して免罪にならないと言うことです。制裁はなさねばならず、その意味では今の人権派諸氏の死刑反対には違和感を覚えるのです。単純な量刑回避ですまないと思うんですよ。
投稿: ゆずこせう | 2008.06.13 09:47
死刑は大層な話でなく、社会にとっては歯を磨いたり爪を切るようなもので普遍的で大した意味はないのかもしれません。だから一人で無理に率先して深爪しても困るのです。寄って鷹って一生延ばしたままにさせるというのも同じですね。
投稿: どうも近所の亭主です | 2008.06.14 01:07